この度【SMとは何か】についてのコラムを書いて欲しいと依頼を受けました蒼月流と申します。
SMとは何か、この世界に触れた人にとっては連綿と続く永遠の命題だろうと思います。
SMとはサドマゾの略ですのでその文字や辞書から引けば「加虐と被虐という倒錯した性的嗜好な事」であるのは間違いありません。しかし「SMとは何か」という命題はそういう事を聞きたい訳では無いと思うので一緒に考察していければと思います。
「SMとはこうである」という定義は存在しない
まずいきなりですが、
「SMとはこうである」という定義は存在していません。
存在しているのは「その人にとって求めているSM」が存在しているのであってそれは全ての人に当てはまるものではありません。
ある人にとってはSMにsexが入るなんて邪道でそんなものはSMでは無いという考えの人も居れば、SMとは性的嗜好なのだからsexのないSMなんて何が楽しいのだと思う人も居るでしょう。
「ご主人様と奴隷」という関係性があってこそのSMだと思う人も居れば「対等の関係で恋人的に加虐と被虐をプレイとして共有したい」と思う人も居ます。
なので先ほども言いましたが「SMとは何か」とはその人にとっての「SMとは何か」という事になります。
従って巷で良く言われる「そんなのは似非SMだ」とか「そんな奴は本当のMではない(Sではない)」というものは存在していないと思ってます。
本物も偽物もなくただその人の求めるSMがあって、その求めるSMに近い人同士がカップルになるのだろうと思います。
「そんなのは似非SMだ」は
「それは自分が求めているSMではない」
だけの話と思えばわかりやすいかも知れません。
なのでSMとは何かという定義が人によって違う以上ここでは私、「蒼月流にとってのSMとは何か」をお話し出来ればと思います。
私にとってのSMを語る訳ですからまずは私自身のプロフィールを紹介しなければいけませんね。
私は大阪と東京でSMバーを何店舗か運営させて頂いているARCADIAグループのオーナーです。
一号店となる大阪のSMバーARCADIAを20年程前(2003年〜)にオープンいたしました。
当時からSMバー自体はあったのですが女王様とM男さん向けのミストレスバーと呼ばれるものであったり高級ラウンジのSM版やあるいはSMショーパブ的なものが多かったと思います。今のようにマニアさん同士が交流する為のお店はビジネス的には成り立ちにくい時代でした。(今も成り立ちにくいですが)
まずM女さんがあまりそういうBARに寄り付かなかった。しかし人一倍そういう場所を欲しているのはM女さんだった。
男性はSMに興味を持てば風俗等に行くという選択肢もある訳ですが女性が自分の中のM性に気付いたとしてもそれを誰に話せば良いのかわからない。
こんな事は他人に言ってはいけない、自分だけがおかしいんじゃないかという疎外感。親友なら理解してくれると思って相談してみるものの、「何か病んでる事があるなら相談して」とか「もっと自分を大事にしてね」と言われる始末。
そう、どんなに親しくとも理解出来ない人には理解出来ないのです。
多分SMバーARCADIAはそういう時代にマッチしたのだと思います。
瞬く間にSM嗜好を持ったM女さんS男性、そしてM男性やらS女性が「自分を偽らずとも良い場所」という事で人気が出ました。
6年後(2009年~)にARCADIA東京を作り(現在はフランチャイズ店に移行)そこから7年後(2016年~)には同じく東京にTitty Twirterというお店を作り更にそこからまた2年後(2018年~)には大阪にARCANA(2018年~)というSMバー(現在休業中)を大阪に作り現在に至っております。
と言う事で私はいわゆるSM BARを他店舗展開しているものですが、その他全国でショーパフォーマンスや「新・SM恋愛術」などの著書も出版しております。
長々と自己紹介してしまいました、
さて、いよいよ本題「蒼月流にとっては何か」です。
SMには先天性と後天性がある
その前にまずSMには先天性と後天性があるというのが私の持論です。
先天性とは生まれつきそういう性癖を持っていた人達。多分何%かの割合で普通の人とは違った性癖をDNAに刻まれて生まれてくる人がいるのだと思います。
これはLGBT等も同じかと。
後天性には多種多様な要素があるので一口には言えませんが、簡単なところであればたまたま交際したお相手にその嗜好があり好きな人の求める事だからとある程度合わせていたらいつの間にか自分もそういう事が好きになってしまった等。
他に複雑なのは幼児の頃に虐待を受けていた、ネグレクトだった、学校で虐めを受けていた、初体験がレイプだったという人も居ましたね。
それは普通に考えればトラウマでしかなく、本来はそれに類似したイメージを持たれるSMには近づきたくもないはずなのですが、人間とは不思議なものでそのトラウマである事に類似したSMを求めるようになる人も居る訳です。
私の推察でしかありませんが、類似した行為であってもSMの場合はお互いがそれを求め合うという部分とそこには何らかの愛情がある訳でその愛情のあるSM行為を繰り返す事で少しづつトラウマを解消していってるのかも知れません。
勿論全てのそういう方に当てはまるものではありませんが。
さて、私の場合は明らかに先天性です。
幼少期から柵のようなものを見れば檻に置き換えてそこに誰かを閉じ込める事を想像してましたし、
廃墟や建築中の家屋等に遭遇するとそこに誰かを縛って監禁しているところを妄想したりしていました。
こんな事を世間で言えば変質者として相当な危険な人間扱いされると思います。
確かに中にはそういう欲望を理性で抑える事が出来ずに犯罪を侵す一部の人はいます。その一部の人達のせいでこの性癖はかなりイメージが悪いです。
大半の人はちゃんと理性で抑え、我慢をし、犯罪ではない範囲でお互い同意の取れる人同士でSMを楽しんでおられるのに残念な事です。
そういう意味で私にとってのSMは前提として犯罪であっては絶対にいけません。
同意の上で、あるいは同意があっても犯罪になる事で有れば理性で抑えて妄想の中だけでしてもらいたいと思ってます。
蒼月流にとってのSMとは
そういう事を踏まえていよいよ私にとってのSMになる訳ですが、上記の通り私にとってのSMとはまず自分にとって性そのものです。
そういう行為において性的興奮を覚えている事は間違いありません。
普通のsexも出来ない訳ではありませんがSMが出来るならsex自体は私の中では必須ではありません。
もしSMかsexかどちらか一つしか出来ないとなったら100%SMを選びます。
このように私にとってのSMは性そのものではあるのですが、それが出来れば満足なのかと言えばそういう事でもありません。
好きになった女性との関係性を形作る上での手段の一つでもあります。
加虐と被虐を通してお互いを知りそして補い合いながら関係性を深めていく為のコミニケーションの手段の一つとしての側面もあります。
性癖として女性という崇高な存在の自由を奪い辱め汚し惨めな人間以下の存在に貶めて興奮するという性癖。
想像してみて下さい。誰にも理解されにくいそういう性癖を共有出来る人と出会いそして絆を深めていけるとしたらこんなに素敵な事は無いと思いませんか?
皆様も自分の求めるものと向き合い自分のSMをどうぞ見つけて下さい!
良いSMライフを送れるよう願っております。
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